墨俣城

別名 一夜城  付近住所 岐阜県大垣市墨俣町墨俣城之越1742-1 現在 一夜城址公園
2007/9/15 碑・案内板・天守閣アリ 日本城郭大系


木下藤吉郎 一夜城のこと
 木下藤吉郎の墨俣城築城は、太閤記、日本外史、新撰美濃志等多くの文献にみられますが、その概略を推測される範囲でしかありません。昭和52年、愛知県江南市の文化財保護委員瀧善義氏により紹介された、同市前野の旧家吉田龍雲家所蔵の前野家古文書は、企画・準備・押出・戦略・構築の状況が具体的に記録され、一夜城の謎を解明する新しい史料として注目に値します。ここに、その一部をご紹介いたします。

墨俣押出惣勢子
一、前野小右衛門  三百拾二人  一、日比野六太夫  弐百五拾人  一、稲田大炊介  六百五拾六人  
 一、山方衆 是は八曽衆七曽衆含むものなり  一、河口久助  百五拾六人  一、梶田隼人  百八拾七人  一、長江半之丞  弐百弐十ニ人  
一、草井舟頭衆  四拾八人  一、犬山舟頭衆  七拾五人  一、大工棟梁方  二拾六人
一、御大将  木下藤吉郎 足軽鉄砲隊七拾五人  一、蜂須賀彦右衛門 手の者 百三拾三人 鉄砲隊 青山新七殿  一、〆惣勢子  弐千百四拾人是有

築城之事
一、高ヤグラ 五棟 是は弐階にて高サ三間半  一、平ヤグラ 三棟 是長屋也 是は平屋也高サ弐間半  一、土居 弐百
五拾間 是は高サ壱間也  一、高塀 百参拾六間 高サ五尺  一、馬柵 壱千八百間 是は高サ壱間是有  一、井戸 弐ヶ処  一、堀 参百六拾間 是は川水を引き入れて深さ壱間半位 巾弐間  殿様御屋敷 壱ヶ処 是は横三間半 奥行弐間半  一、棟梁 拾人  一、下職 是は山家衆受  一、木戸 弐ヶ処 大手一 搦手一
右条々廻文通り  ハチスカ彦右衛門殿  永禄9年7月3日
(同年9月12日昼は馬柵、夜は築城工事を戦いつつ進め、9月15日完成信長入城す)